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2011年12月31日土曜日

僕歪年末号~おもくその3.11 資本原理主義者たち

熱々カップルと頑固親父CO2

僕が「異常気象」という言葉を実感するようになったのは、米不足と水不足が連続した年があった90年代。それ以前か以後かは正確には分からないけど、その頃には「省エネ」とか「クーラーの設定温度は28℃を目安に!」って言葉は普通に耳にしており、おもくそ家では実践していた。だけど、「設定温度28℃」って少数派なんですよねー。友達が遊びに来ると「おもくそん家は暑い!」という意見がしばしば(そして冬は「寒い!」)。逆に、僕が遊びに行った時は「お前んち寒い!」っていうのだけど(そして冬は「暑い!」)。飲食店やデパートなんかに行っても、大抵のお店で「寒い!」と感じるのだけど、周りは大抵平気みたいだし。そうか、28℃のおもくそ家の方が異常気象なのか…なんてしみじみ思いながら生きてきた。そんな僕にとって、否が応にも皆節電せざるをえないこの夏は、非常に過ごしやすいものであったし、暑さで周りが体調崩しまくっているのを見ては優越感に浸っていた(はい小さい人間です)。

今までずっと節電してきたので、別に特に生活変える必要無かったのだけど、何もしないのも癪だし、それならさらに引き離してやる、さらなる高みを…ということで、エアコンゼロ稼働に挑戦。結果は…ゼロは流石に無理だったけど、盆に3日程使用しただけで済んだ。しかもこの夏体調崩す事は一度も無く。いやー人間の適応力って凄いね。しかし盆を過ぎたら一気に涼しくなったから、あれさえ乗り切ればゼロ達成できたかもと思うと悔しい。

ところで、「節電はピーク時間帯だけ行えばよく、深夜の節電は必要無い」という意見がありました。意見というか、まあ学術的に事実なんですけど(使用量が供給量を超えなければよく、夜は使用量の多い工場やオフィスが稼働停止するので)。たださあ、ピーク時間帯だろうが深夜だろうが、電気を消費すればその分熱が確実に発生するわけですよ。で、発生した熱は「熱力学第一法則」とか何だかで自然消滅することはないので、どっかに放散してくれない限りはキャリーオーバーされるわけですよ。で、都市化する以前は、緑やら土やらが吸収してくれたり大気圏外に逃げたりできたのに、現在はご存じの通りアスファルトで蓋しちゃったし、熱夫と熱美の大気圏外への逃避行はCO2という名の頑固親父によって阻まれ…というわけで、現在においては

電気使う=温度上昇

って式が成り立つと思うのですよ(電気使う→熱発生→でも熱の逃げ場が無い→温度上昇)。ヒートアイランドの原因の一つでもありますね。そして、温度が上がれば当然クーラーの稼働も上がり…と、いわゆる悪循環です。

よって、ピーク時間帯かどうかなんて関係無く、常々節電すべきだ!とおもくそは思ったとさ。
※専門家じゃないので完全なる憶測です。実際正しいかどうかは分かりません。でも全然間違ってるってことはないと思うのだけど…

そんな中、深夜どころか、昼間でも全く節電しないという人がいました。その人の言い分は、
「節電して暑いの我慢して体調崩すと、仕事を休む→マクロな視点で経済効果が下がる。そっちの方が問題。
だから我慢(節電)はすべきでない。」
というもの。
うーん、我慢の程度にもよるけど…大抵の人の場合、そもそも今は使いすぎな状態だと思うんですよ。28℃で十分適応できるところを(これには個人差ないと思います)、必要以上に温度下げて使いまくってる甘ったれ状態だと思うんですよ。だから、節電つっても「過剰」を「普通」にするだけなんですよ。その程度の努力すらしない・できないってのは、怠惰・我が儘としか言いようがない。下がっても給料・待遇十分なのに、人件費削減に文句言いまくってる公務員ユニオンとか某電力会社と同じ!
「あーレイプしたい。もちろんレイプはいけないことだ。でも我慢してたらストレスで体調崩す。そうなったら会社の売上が減り、ひいては日本の経済が…だから我慢はよくない。よし、レイプしに行くぞ!」ってのと同じ理屈!そんなのダメ!

ていうか、いつの頃からか「環境とかなんかよりもとにかく経済(金)優先だ!」って人が増えてきてますね。資本原理主義って奴?
余談
この節電を機に、全般的なエコ意識が高まって、エコバッグ持参率上がるかなーと、スーパーとか行くたびに漠然と眺めてみたけれど、そないやなー…そこまでの考えは及ばないのか…

燃えてるのは鳥じゃない。ファンの怒りの炎だ。

前述の節電のやり取りがあってから数週間後、以前に述べた『火の鳥 オリジナル版復刻大全集』の代金のカード引き落としが行われた。繰り返すが、その額98700円(1冊約8000円)。よくよく考えたら、地デジ化で買わざるをえなかったブルーレイレコーダーよりも高い。

火の鳥と言えば、単行本化の際にエピソードや台詞がまるっと改変・削除された事で有名なので、ファンはオリジナル版の復刻を長い間待ち焦がれていた。そしてついに復刻が決定し、喜び勇んで情報見てみると、この価格…ある人は手が出せないと諦め、殆どの人は二の足を踏み、そして恐らく全員が憤ったと思う。商魂丸出し。ビジネスの基本は「顧客のニーズを満たす」って、ドラッカーあたりも言ってなかったか?どう考えてもファンのニーズを無視してるだろ。復刊にあたって多大な労力・コストをかけただろうから、その辺の単行本と同じ価格帯でとまでは言うつもりは毛頭ないですけどね、誰もハードカバーとかオールカラーとかは望んでいない。ただ物語を読みたいだけだ。貴重な品だから、コレクター向けバージョンとしてハードカバー版はあってもいいだろうけど、廉価版も出した上でファンが好きな方を選べるようにするべきでしょう。

代替品が存在するような商品であれば、「ここの会社の高いから別の会社のにしよ」とか「ここの店、感じ悪いから、別の店で食べよ」というように、余所に移ればよく、それにより見限られた方は淘汰されていくのだけど、この火の鳥に関しては独占販売。他に移りようが無い。どっかの電力会社と同じだ。ここでも、顧客のニーズとか文化の供給とかよりも金儲け優先の「資本原理主義」を感じざるをえなかった。手塚先生はどう思われているのだろう…




2011年12月30日金曜日

僕歪年末号~おもくその3.11 俺は風

久方ぶりの雑文。年末なので今年を振り返る…というのを口実に、忙しくて下書きのまま放置されてたエントリを加筆訂正して清書してしまう。

まずは…2011年の日本を語る上で避けては通れない、3.11にまつわるエトセトラ。

次の日健康診断なんですけど

JRerのため早々と帰宅難民化が決定されたあの日。まあ金曜日だし、飲みなりカラオケなりネットカフェなりで夜を明かし…たかったが、次の日は健康診断。まあ十中八九中止だろうとは思ってたけど、万が一予定通りだったら後々手間かかるかな、そもそも基本的に徹夜は嫌いだし家で寝たいし、ていうか割と仲いい人間みんな歩いて帰ろうとしてるぞ…ってことで、民族大移動の列に加わることを決意。Googleマップで徒歩ルート検索すると…距離約20km、所要時間4時間…。30ページに及ぶルート地図を印刷し、20時に会社を出た。自分は結構歩くのが速い方なので、Googleが弾き出した時間ほどかからないだろう、と。

Google先生はあの日も正しかった

印刷した地図を片手にひたすら歩いた。ぐんぐん順位を上げながらひたすら歩いた。俺やっぱり速いぜ風だぜ!とが思いながら歩いた。こんな事でも考えながらじゃないと疲労で心が折れそうだったから…

地図が20ページに差し掛かった、つまり3分の2を消化したところで、これまでの経過時間を確認すると、約2時間。おお、単純計算だと3時間で着きそうだ俺やっぱり速いぜニュートリノだぜ!とか思いながら、地図の次の案内確認すると…
「直進する 8km 1時間30分」
…結局、家に着いた時には約4時間経過。時間ぴったり。Googleすげえ。
そう言えばこの日、もう10年以上ぶりに立ちションしたなー。コンビニの便所、どこも人気ラーメン屋ばりに並んでたもんなー。

鉄筋コンクリート様

本棚の悲劇の話が周りからちらほら来てたので、恐る恐る玄関を開けて中に入ると…以下、倒れていたもののリスト。
  • 空ペットボトル
  • まな板
  • 縦置きしてたボックスティッシュ
  • 便座
などなど、こんなレベル。いい意味で拍子抜け。本に関しては、本立て使わず自らのバランスで立ってた段のが横倒しになってただけで、飛び散ってもいなかった。
これが…鉄筋コンクリートの…力か…

「サヨナラノツバサ」がプチトラウマ

あの日の数日前に発売された、今年というか歴代最高レベルの菅野よう子作品『マクロスF サヨナラノツバサ』のサントラ。



徒歩開始時、iPodの電源入れて上記アルバムから「サヨナラノツバサ」を1曲リピートで再生してふとバッテリーアイコン見てみると…あ、赤い!殆ど残ってない!全く、携帯に続いてiPodもなんて、ホント最悪だ…

この長い長い道のりを無音状態でというのは不毛すぎる。余計な操作したらダメだ…ということで、4時間中、全くiPodに触れなかった。つまり、4時間中ずっと「サヨナラノツバサ」。僕の中では歴代TOP10に入るくらいの名曲だけど、聴くとどうしてもこの日の苦しみを思い出してしまう…

「この世で一番強いのは放射能」

これは去年の話になっちゃうけど、最後のM-1グランプリのスリムクラブは衝撃でした。



特に見出しの台詞はお気に入り。だけど、こんなことになっちゃったら「不謹慎だ!」とか言う輩が出てくるだろうから、あのネタは封印されてしまうのだろうか…

話は変わるけど、決勝で「(優勝)取らせてやりたかった」と笑い飯に一票入れた松本人志にはがっかりだった。純粋な面白さでいったら、決勝は絶対スリムクラブだと思うけど(松ちゃんの好きそうな笑いでもあったし)。昔のM-1でますだおかだの優勝した際、審査の仕方に対してラジオで吠えてたあなたはいずこに…今年発売された本『仕事の流儀』では「下ネタやブラックな笑いはもういい」とか言っちゃってるし…90年代の毒々しさが好きなプチ信者としては、人生の楽しみが…ああでも、今月の『MHK』の戦隊ものは、久し振りのシュールコントで良かったけどね。まあ笑い声はいらんと思うけど(多分足してるやつですよね?)。


2009年12月31日木曜日

僕歪年末号 2009~ライフ

実家にも帰らず、日を跨ぐようなイベントも無く、年末年始という名の普通の6連休を満喫中のおもくそです。本日もいつもの土日の如き1日でした。

朝起きて布団を干し、1時間後に黒い雲が広がってきたので慌てて布団を取込み、すぐさまケータイで天気予報を調べると雨の恐れは無しじゃねぇかどういうことだ、数分後再び陽が照ってきたので再び干し、友人から借りた村上春樹の『海辺のカフカ』を読み、スーパーに買い出しに行き、日が暮れたらジョギング、シャワー浴びて録り溜めしていた松本人志の番組を鑑賞し、そして現在PCの前でカタカタやっています。

ちなみに晩飯は年越しそばでもなくお雑煮でもなく、先日作ったカレーでした。これを書き終わるのは恐らく23時過ぎ。それから筋トレしてお風呂に入るつもりですが、この調子だと年明けはチ○ポを洗いながら迎えそうです。

今日のふりかえりが終わったので、今年をふりかえってみたいと思います。

1~3月:鳴門の渦巻きで赤潮発生

ったく新年早々…だがしかし『痔』が『寿』に似ている理由が分かったは収穫だった。しかしこの後も度々発生し、生誕祭の日に肛門処女喪失するハメ…じゃなく羽目になった。ちなみに肛門の中は神経が無いのか知らんが全く痛くはなかった。

7月:ライブ処女喪失、そして俺の曲を聴け!

処女喪失ばっかりで申し訳ない。情けない話ですが、この年になるまでミュージシャンの所謂『ライブ』に行ったことがありませんでした。そこまで夢中になれるミュージシャンがおりませんので。ただ唯一の例外が菅野よう子で、比較的手に入りやすいCDは全て購入しており、マジで天才と崇めているのだが、菅野氏はあんまりライブしないんですよね-。2年前に行われた韓国ライブは手が出なかったし…。
そんな菅野氏、今年5月にベストアルバムを発売。



ファンサイトである『菅野よう子さん ねっとわーく』の管理人さんが「シートベルツ名義ならライブあるかも」と言ってたら、本当にライブ開催決定!初めてのチケット購入は電子チケットぴあを利用、先行予約ですんなり当選、しかも最前列!?よっしゃー!…だがしかし『ライブひよこ』な僕ちゃんは喜びと共に戦きも感じたのでした。ど素人丸出し。アリーナ会場なんだから、最前列なんてたくさんあるだろうが。
そして当日、グッズが先行販売されるとの事なので、昼過ぎの到着を目指して出発。道中は「余った時間何してようかな~」と、グッズ購入はすんなり終わると思っており余裕かましていたのだが、到着してみて「何じゃこりゃー!?」。かなり甘く見ていました。2時間もかかるとは思わんかった。しかもあの日は暑かった!
人生初のライブは最高でした。何たってセンターステージ・バックステージの菅野さんが物凄くよく見える位置。この日の余韻は燻り続け、高校生の時以来、約10年ぶりに楽器に手を出した。ついでに菅野さんの楽譜も購入。



購入してから約半年、今どうなってるかって?…えと、その、現在の僕は、上半身が人間・下半身がこたつのいわゆる『オコタウロス』でして…すいません!完全な人間になったら再開します!弾きたい気持ちはホント持続中なんですけど…

8・9月:Twitterとかぬいぐるみとか

8月は取り立てて書くような事は無いな。あ、そういえばぬいぐるみが今月届きました。プロフィール画像のやつがそうです。
9月は…Twitter処女喪失。もう処女喪失はいいっつーの。冒頭で述べている通り、当初はアカウントだけ抑えて眠らせておく予定だったが、取り敢えず使ってみたら意外と面白いじゃないか。始めてから約4ヶ月、現在のフォローワー数は16。「こっちから一切フォローしないで(要はフォロー返しされるの無しで)どこまで増やせるか」というコンセプトでやっているので、まあこんな少数となっています。当ブログ左上に表示していますので、もしよかったらフォローしてやってください。

10~12月:amazon、錬金術師、新型インフル…

10月以降も特に何も無かったな…仕事が忙しかったし。10月にはamazonにまたしても注文勝手にキャンセルされた。菅野よう子の対談が載った雑誌だったんだけど、そう言えば中古で買うつもりだったのに忘れてた!
11月、今更ですが鋼の錬金術師処女喪失。まだ言うか。リンク先で述べている通り、第1印象は「ベルセルクに似てるなー」
12月、濃厚接触者処女喪失。いい加減アダルトフィルタに引っかかるぞ。まあそんなもん。最後の3ヶ月はとにかく仕事が忙しかった。



2009年、一言で言うと『処女喪失』の年だったとさ。
…てか、普通に生きていれば、『初体験』なんて毎年これくらいあるよな。

僕歪年末号 2009~ワーク

我が輩はプログラマである。市場価値はまだ無い。

IT業界に就職して今年で4年目。4年目ともなればSEという肩書きの元、お客さんとの折衝・交渉を行っているのが一般的なキャリアパスでしょうか。僕は冒頭の通り、未だにプログラマです。まあ間接的にSEっぽいことを行ってはいますが(自社の人間を間に挟んでのお客さんとのやりとりetc)。

冒頭の言葉は半分本気で、半分嘘。
「自分は努力してるし、日々の業務もただ漫然と言われた通りにこなすだけでなく『もっと効率化できないか?』等考えながら仕事をし、開発プロセスの改善を提言する等している。それに比べて周りを見てみろ。他にこういう事している人間いるか?殆どいないだろう。オフショアやらSaaSやらの台頭で淘汰の時代に入ったけど、俺なら大丈夫だろう。SEの仕事も多少場数を踏めばすぐそれなりのレベルに達する自信はある。何よりもこれからも努力していくし!」
と、自分に自信を持っている反面、
「そうは言っても、4年目27歳にしてお客さんとの交渉経験殆ど無し。プレゼン経験も無し。工数見積もり自分の作業分以外は無し。基本プログラミング以下の作業のみ。プロジェクトは短期間でころころ変わるので、『経験豊富です!』と胸を張れる業務知識も無し。仕事の殆どがJava案件であるにも拘わらず、オブジェクト指向プログラミングやテスト駆動開発の適用は皆無。フレームワーク経験は商用のマイナーなやつのみ(俺様フレームワークよりはマシだろうけど)。そんな俺に市場価値なんてあるのか?」
と自信の無い自分もいる。

.NETとかFlexとか、トレンドだったり市場価値があったり、そしてブログのネタにもなりそうな仕事がしたいとずっと思っており、上に希望は出してはいるものの、現実は厳しい…確かに前述の商用FWを深いレベルで理解できている人間は僕しかいないのだけど…

そんな状況でしたが、念願叶って、今年前半は.NET三昧でした。幸か不幸か、この不景気によりお客さんも「お金がないから簡単な所は自分たちでやる」と言いだし、前述の商用FWの仕事が無くなってしまったので(そのFWは内製向け。『オブジェクト指向無くても作れる!』が売り。その為OOP経験を積めなかった)。
最初の2ヶ月はASP.NET 2.0のアプリ。WEBサービスクライアントや、パーシャルクラスによるTableAdapterの拡張等、中級以上?の事も行った。市場価値のある技術なので、それはそれは仕事してて楽しかったです。
それが終わると、次は.NET 3.5のC/Sアプリ。当時としては最新の.NET Frameworkで、うちの会社としても初めての技術。そして何より、要件定義から納品までうちの会社が担当するという、これぞシステムインテグレーションという仕事に、モチベーションはだだ上がり。まあ僕はここでもプログラマなので、担当したのは詳細設計以降でしたが、システム環境のセットアップからリリース作業までを任された。これまでは既に用意された環境で個々のプログラムを作成するだけだったが、セットアップ作業を経験することにより、インフラの視点が少し身についた。プログラミング作業に関しても、ReadOnlyのセルにフォーカス移らないDataGridViewを自作したりと、非常に充実したものだった。

そして2009年後半。まあ、再び商用JavaFWの仕事が始まりましたが…
前半の.NETでの経験でエンジニアとして自信を持ったので、前々から参加したいが自信が無くて二の足を踏んでいた勉強会参加を実行。そして玉砕…世間のレベルは高かった。これを機に再び自信喪失…勉強会参加が再び億劫になる。

気温と共に気持ちが落ち込んだ状態で到来した10・11月。過去最悪と言っていい仕事のやり難さ。情報伝達がテキストファイルに追記て、いつの時代だ!?プログラム品質も悪いし。
でも悪いことばかりではなかった。ある金額を計算するモジュールを一から作り直す作業の担当となったのだが、クラス設計を自由にやらせてもらえたので、継承等オブジェクト指向を使用した(多少の制限事項はあるが)。『オブジェクト指向プログラミングをしないうちはJava初級!』と言われているので、この経験を活かして早く中級に上がりたい。また、実業務では初めてJUnitを使用した。ありがちな話ではあるが前述の計算モジュールは仕様変更が多発したので、JUnitでテストケースを書いておいて本当によかった。これが単体テスト仕様書として見なされれば文句無しなのだが…

12月。再び商用JavaFWの案件。結構でかい。来年後半までスケジュールが引かれている。
僕のポジションはPL。PLといっても『Programmer Leader』ですけど。メンバーにはFWの潤沢な経験者が殆どいないので、彼らを導けとの事。ぶっちゃけ今までずっとそんな感じの事はしてきたので特に感慨は無いが、正式に任命されたのは初めてなので、正直悪い気はしない。まあ『プログラマ・リーダー』自体が正式なものではないですが。
一番モチベーションが上がったのが、今回のプロジェクトでは『Trac Lightning』を使用し、これまで行ってこなかった情報共有・ノウハウ蓄積をしていく事。これまで旧態依然とした非効率な仕事のやり方にうんざりしており、ちょくちょく提言を行っていたのだが、ようやく伝わったようだ。あとは、どれだけメンバーが積極的に使ってくれるかだな…